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1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/01/22(金) 13:57:04.13 ID:CAP_USER*.net
ユニホームとの別れは突然、訪れた。
1996年、30歳の夏。5月に2軍落ちした俺は川崎にある巨人の練習場へ向かうため、車に乗り込んだ。エンジンをかけようとした瞬間、呼吸が苦しくなった。

練習に行けるような状態ではない。「すみません、実は過呼吸になり、車を運転できません」と2軍のマネジャーに連絡を入れて練習を休んだ。
それ以来、ユニホームを着ることはなかった。

最初に体調の異変を感じたのは2週間ほど前、神宮球場であった花火大会だった。
青山にあった友人の事務所の屋上で見物していると、周囲の建物がグラグラ揺れ始めた。
めまいとは違う。地震かとも思ったが、だれも騒いでいない。「飲み過ぎたかな」と、やり過ごした。

その1週間後、食事に出掛けたホテルで倒れた。突然、呼吸が苦しくなり、パニックに陥った。
意識を失い、気がついたときには大学病院に運び込まれていた。

病名は『パニック障害』。自律神経をやられ、過呼吸症候群になったと診断された。
不安になると呼吸が苦しくなり、天井がグルグル回る。
発作が治まるまで、5、6時間も家の周りを歩き、精神安定剤の世話にもなった。

世間は、巨人の「メークドラマ」(首位・広島との最大11・5ゲーム差を逆転してリーグ優勝)で盛り上がっていたけど、とてもそれどころではなかった。
ナイター中継さえ、体が辛くて見ていられないのだ。
体力には自信があったので「気が弱いから、気合が足りないから、こんな病気になるんだ」と自分自身を責めた。
ほとんどノイローゼで、自殺衝動もあった。

「生涯最後の旅行」のつもりで、箱根の山荘に逃げ込んだ。
仕事を休んで同行してくれたのが今の女房。自然がまだ残っていて、すごく気持ちが楽になった。漫画以外読んだことがない俺が、本を読みあさった。

症状は軽くなったものの、パニック障害は完治しなかった。
ずっと練習を休んでいた俺はオフに入ると、オヤジから田園調布の自宅に呼ばれ、戦力外通告を受けた。

「残念だが、お前は来季の戦力に入っていない」

「はい、分かりました」

「もう未練はないよな」

「そんなもの、まったくありません」

たった30秒足らずの会話だった。オヤジにパニック障害のことは話さなかった。
病気を治して野球を続けたいという未練はタラタラだったが、それ以上に“巨人の監督”に自分の健康上のことで余計な心配をかけたくなかった。

引退後は、以前から憧れていた極真空手に傾倒した。楽しいことに夢中になって気を紛らわせる−。
それがパニック障害克服の鍵のひとつだと気づくのは、かなり後だった。

http://www.sanspo.com/baseball/news/20160122/npb16012211000001-n1.html
2016.1.22 11:00


https://www.youtube.com/watch?v=jt0NvmRaPZk







引用元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1453438624/